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ひつじのJAVA言語入門への道 JAVAあれこれ


例によって、歴史というか思い出話から。記憶というのはいつの間にか都合の良いように脚色されてしまっているようです。年代だとか当時思っていたことが後から思い込み、勘違いだったということもあります。
なので、以下は、裏を取るまではこの回はフィクションということでご容赦ください。
予てより話題のJAVAがいよいよ世に出てくることを知ったのは1994年頃の大阪から東京へ向かう新幹線の中でした。普段はめったに読まない日経産業新聞に「サンマイクロシステムズがJAVAの出荷を発表!」と小さく(!)出ていた時でした。
筆者には久しぶりに聞くサンマイクロシステムズの消息でした。
当時は、マイクロソフトのウインドウズが世の中を席巻していて、サンの動向もあまりメディアに出てこなくて、そろそろやばいのかなぁ、とか思っていました。自分達の成り立ちを忘れてSolarisやOpenLook等というオープンで無いものを作るからだ、自業自得だ、とか、思っていたのでした。(勿論、大してスキルもない若造のまったく根拠の無い素人の印象ですので。念のため^^;)
そもそも、サンマイクロシステムズが登場した頃は、大型計算機の時代で、高価なので(何億円もする)、当初は導入しているのは、官公庁とか一部の大手企業か一部の大学だけでしたが、次第に導入する企業が増えつつありました。一方、パーソナルコンピュータは、一部のマニアックな個人向けとともにOA(オフィースオートメーション)として企業へ急速に普及し始めてもいました。インターネット(当時は電子メールとBBSが中心)もまた普及し始めつつありました。コンピュータの利用需要は高まっていたといえます。
当時、コンピュータメーカは各社独自の技術で作っていたので、メーカが違うとソフトウェアの相互の互換性がほとんどありませんでした。これが価格とともに普及を阻害する要因となっていました。

そのような時に、一般市場で手に入る部品やチップでコンピュータを組み立て、さらにOSもUNIXという無償のOS(BSD UNIX)、WindowシステムもXWindow(懐かしい!)、開発言語もC言語を採用して、当時としては画期的に安いコンピュータ(エンジニアリングワークステーション)を発表しました。確か 200万円前後台で手に入ったと記憶しています。これが爆発的に普及しました。
オープンで標準のものを組み合わせたコンピュータを市場に出し、多くの企業が安価に手にいれることができるようになり、あっという間にコンピュータを急速に普及させた功績は大だと思います。
直後からオープンシステム、ダウンサイジング、ライトサイジング、クライアント/サーバモデル等々のイノベーションが起り、これはまた大型計算機の時代の終焉の始まりでもありました。
あっという間に大企業になったサンマイクロシステムズですが、その後、サンはSunOSからSolarisというやや独自のOSに、ウインドウシステムもOpenLookというものを提供するようになりました。技術的には各々の延長だったので特に問題はありませんでしたが、そもそも標準、オープンがサンの成り立ちだったのに、と思ったものでした。
オープンシステムの流れは変えようもない上に、パーソナルコンピュータの性能が飛躍的に向上し、多くのユーザはサンから離れていきました。それでもサンは分散オブジェクト指向という新しいコンセプトのプロダクトやサービスを打ち出しましたが、インターネットとパソコンの爆発的な普及に、UNIXマシンはやっとサーバ製品として生き残るだけでした。
そうした時に、JAVAの記事を目にした次第です。JAVA技術者の養成が成功へのポイント、というような内容だったと思います。
こうしてJAVAが世に出てきました。


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