(後編)
「マティーニ作れるか」
「はい!できます!」、Kが答えた。
マティーニ…。言わずと知れた、カクテルの王様。
かのチャーチルが愛飲したことでも有名なこのカクテルは、
ジンとベルモットを合わすいたってシンプルなレシピだ。
カウンターの中に通されたKは自信有りげだった。
ジンはタンカレーを、ベルモットにはノイリープラットを選んだ。
「いい選択だ」、私は心の中でつぶやいた。
ミキシンググラスに氷を入れてよく冷やし、そしていよいよジンを注ぎこもうとしたその時だった。
「もういい、そこまでだ」
絶句した私達をよそににマスターは続けた。
「本物を飲ませてやる」
目にも留まらぬ早業は力強く、それでいてしなやかだった。
最後にオリーブを添えて、2杯のマティーニが差し出された。
圧巻だった。幾度となく作り、幾多の店で飲んだ、そのどれとも違っていた。
マスターはKに向かってこう尋ねた
「お前この道でやっていくつもりか」
「はい!そのつもりです」
Kが答えるやいなや
「はっきり言ってやる。バーテンはお前には無理や、今日で辞めにしろ!」
私は言葉を失った。
Kは泣いていた。
数百にも及ぶカクテルのレシピを記憶し、300種を超える洋酒を自在に操れる
私達のその自負心は無惨に崩れ去った。
あれから10年が経つだろうか、私は大阪で、Kは職を転々としたのち、故郷の長崎で店を営んでいる。
あの時、マスターは私にも同じ質問をしていた。
「僕は…、立派な商売人になりたいです!」
そう答える私に、マスターは笑顔でうなずき
「そのまま、今のままで行くんだぞ!」
こうして「この道30年」と「この道3年」の長い夜が終わった。
思い上がった若者の鼻を折ろうとしたのか、あそこで交わされた言葉の意味は…。
そんなことを時折思い出すのは、決まって今日のように忙しい夜だ。
カクテルはマティーニに始まり、マティーニに終わると言われる。
「King of cocktail」
私の店のメニューに、いまだその名は無い。