ひつじTOWN デジタルシープラーニング

西新地バー物語 5 King of cocktail

西新地バー物語トップページ
(後編)
「マティーニ作れるか」

「はい!できます!」、Kが答えた。
マティーニ…。言わずと知れた、カクテルの王様。
かのチャーチルが愛飲したことでも有名なこのカクテルは、
ジンとベルモットを合わすいたってシンプルなレシピだ。
カウンターの中に通されたKは自信有りげだった。
ジンはタンカレーを、ベルモットにはノイリープラットを選んだ。
「いい選択だ」、私は心の中でつぶやいた。
ミキシンググラスに氷を入れてよく冷やし、そしていよいよジンを注ぎこもうとしたその時だった。
「もういい、そこまでだ」
絶句した私達をよそににマスターは続けた。

「本物を飲ませてやる」
目にも留まらぬ早業は力強く、それでいてしなやかだった。
最後にオリーブを添えて、2杯のマティーニが差し出された。
圧巻だった。幾度となく作り、幾多の店で飲んだ、そのどれとも違っていた。
マスターはKに向かってこう尋ねた

「お前この道でやっていくつもりか」

「はい!そのつもりです」
Kが答えるやいなや

「はっきり言ってやる。バーテンはお前には無理や、今日で辞めにしろ!」
私は言葉を失った。
Kは泣いていた。
数百にも及ぶカクテルのレシピを記憶し、300種を超える洋酒を自在に操れる
私達のその自負心は無惨に崩れ去った。

あれから10年が経つだろうか、私は大阪で、Kは職を転々としたのち、故郷の長崎で店を営んでいる。
あの時、マスターは私にも同じ質問をしていた。
「僕は…、立派な商売人になりたいです!」
そう答える私に、マスターは笑顔でうなずき
「そのまま、今のままで行くんだぞ!」

こうして「この道30年」と「この道3年」の長い夜が終わった。
思い上がった若者の鼻を折ろうとしたのか、あそこで交わされた言葉の意味は…。

そんなことを時折思い出すのは、決まって今日のように忙しい夜だ。
カクテルはマティーニに始まり、マティーニに終わると言われる。

「King of cocktail」 
私の店のメニューに、いまだその名は無い。