日曜日のバーの営業は、普段と違いゆっくりとした時間が流れていく。
そのせいかバーテンダーも少し緊張に欠け、営業時間だというのにまだ氷を切り終えていなかった。
薄暗い店内には静かにJAZZが流れ、氷を切る音が響いていた。
時計の針は七時を指している。
バーテンダーはひと仕事終え、タバコをくゆらしながら、静かな時間をすごすために何をしようかと考えていた。
すると、入り口のドアが開き見馴れた顔の客が一人入ってきた。
少し驚いた声で
「え〜っ、渡辺さん!日曜日だというのにどうしたんですか」
「せっかく来たのに、え〜っ、はないですよ」
「あっ、そうですね、すみませんでした。 改めて、いらっしゃいませ」
「まーいいや、マスターらしいし。とりあえずいつものでお願いします」
この時バーテンダーは心の中で、仕事が出来るというよりも話し相手が出来てよかったと思っていた。
常連客の渡辺は、店に通い始めて三年程になる、週に一度火曜日に顔を出す客であった。
「ところで渡辺さんが日曜にいらっしゃるなんて珍しいですね。何か私に頼み事でもあるんですか」
「するどいな〜。流石マスターだよね。まぁ大したことじゃないんですけど、今日は妻が子供を連れて実家に帰っているので僕一人なんですよ」
「もしかして、この間の女性との浮気がばれたとか?」
「本当にひどいよなぁ〜。僕は結婚して以来、一度も浮気なんかした事ないですよ。せいぜい出張先でペイチャンネルを見るくらいのもんです。大体先週の女性は単なる取引先の方で、仕事の話をしていたのをマスターも知っているじゃないですか」
「もちろんわかっていますよ、渡辺さんが家族を大切にしている事くらい。先日もお子さんにって、わざわざ出張先でTシャツを買って来たくらいですからね。」
「う〜ん、今はすごく幸せなんですけどね」
渡辺はどこか気のない返事で答えていた。
「実はマスター、昨晩のことなんですけどね、僕が今の仕事を始めた頃に付き合っていた女性とばったり会ったんですよ。
別れてから十八年ぶりですかね。あの頃は二人で、新宿のセンチュリーハイアットのバーでよく飲んでいたんです。二人ともマティーニが好きで、いつかロンドンにあるデュークスホテルの、世界一と言われているマティーニを飲もうなって言っていたんですよ。
でも、当時は海外出張が多くて、お互い仕事に追われてましてね、今と違いケイタイもなかったし、次第に連絡しなくなり別れたんです。
それ以来、マティーニは飲まなかったのですが、今夜は何か無性にマティーニが飲みたくなりましてね」
「デュークスホテルのマティーニですか。私も数年前に一度だけ飲んだことがありますけど・・・・。
マティーニとは、時代の産物にとどまることなく時代とともに歩んでいく飲み物なんですよ。
今が幸せな渡辺さんには、もうあのカクテルは必要ないんじゃないですか」
「マスター、どういうこと」
「答えは、渡辺さんが手にしているグラスの中にありますよ」
「これって、いつも飲んでいるグレンリベットですよね」
「男が恋をしている時に好んで飲むカクテルは、無意識のうちに求めている女性を表しているんですよ」
と言い、バーテンダーは黙ってカクテルを作り出した。
目の前に出されたカクテルは、デュークスホテルのマティーニと一見、なんらスタイルに変わりはないが、味わいはマティーニにしては、キリッと冷えあがったジンの味ではなく、グレンリベットの香りをベルモットが優しく包み込んでいた。
口の中いっぱいに広がるぬくもりが、なんとも言えない深く満ち足りた心地よさを心に響かせた。
バーテンダーは「ザ・グレンリベットマティーニです」とだけ言い、ゆっくりとタバコに火をつけた。
その時カウンターに無造作に置かれていたケイタイに一通のメールが届いた。
「お父さん、飲みすぎないでね。おやすみなさい」
過ぎ去った時間と、愛する家族に乾杯