外は静かに冷たい雨が降っている。
忙しい時間帯も過ぎ去り、店にはバーテンダーが一人。そして、タバコの煙だけが漂っていた。
入口のドアがゆっくりと開き、常連客の男と、男の背中に隠れるように女が一人入ってきた。
「こんばんは。今日はマスターに報告することがあるんです」
と言い、いつものカウンターに着いた。
「実は急な辞令が出まして、来週、転勤なんです」
「えっ、そうなんですか。残念なことですね。せっかく、お二人で来ていただけるようになったばかりなのに」
バーテンダーが女性に目をやると、女は下を向いたまま顔をあげようとしない。
「彼女と付き合って、まだ1ヶ月半だというのに、もう離れ離れになるなんて、俺ってホントついてないよなあ。マスター、彼女にはいつものようにカクテルをお願いします。そして、今夜の僕に合うシングルモルトを一つもらえますか」
バーテンダーと男のやり取りの間も、女は一向に顔をあげようとはしなかった。
男の前に出されたグラスには、琥珀色をした液体と大きめの氷が一つ入っていた。
男は女のカクテルが出来上がるまで、右手の中指で氷をくるくると回していた。
女は目の前に出されたカクテルに見向きもせず、まだ下を向いている。
男は右手でゆっくりとグラスを持ち上げ、一口含むと黙って深く頷いた。
「マスター。このシングルモルト、本当にいい感じですよ。彼女に言葉では表現できなかった今の気持ちが現れているようで」
その瞬間、女は顔をあげ、男のグラスに目をやった。
女の目は赤く腫れあがり、幾度となく流したであろう涙のあとが残っていた。
「私にも少し飲ませて」
女は男からグラスを受け取り、舐めるように少しだけ口に含んだが、やはり女にはきつかったのかすぐにグラスを男に返した。
あれから1週間がたち、男がいつも着いていたカウンターで、男が最後に飲んだシングルモルトを、女が一人飲んでいた。
1杯だけ飲むと、女はすぐに帰っていった。
そして、次の週も、またその次の週も女はここにやって来た。
2ヶ月も過ぎたであろうある日、女はいつものように、いつもの席に座っていた。
ただひとつだけ違ったのは、右手の中指で氷をくるくると回していたこと。
バーテンダーは黙って見守るだけで、決して声をかけようとはしなかった。
10分くらい過ぎただろうか、他の客の相手も終わり、ふと女に目をやると、両手でグラスをしっかりと握りしめ、下を向いている。
バーテンダーは少し気になり「どうかなさいましたか」と声をかけた。
顔をあげた女は、今にもあふれんばかりの涙をいっぱいためていた。
「マスター。私にもやっとあの時の彼の気持ちが伝わってきたような気がします」
口の中いっぱいに広がる甘くせつないこの香り。
まるで、恋をするには時間は要らないが、愛を育むには多少の時間が必要であるとでも言っているかのように。
カウンターの上には、想い出の雫が光っていた。
恋から愛へと変化した、グレンリベット・フレンチオークに乾杯